掲載2009年12月5日
為清 勝彦
人口論:狩猟採集生活の夢を忘れられない現代人?
「人口」というテーマはなかなか難しい。ロックフェラー財団などが推進している人口削減が良いわけがないのだが、「盗人にも三分の理」という言葉があるように、あながち彼らの言い分も間違っていないのである。問題なのは、自分たちが生き残る側だと勝手に決めているところだ。人口の増減が、良きにつけ悪しきにつけ、社会の変動をもたらす最大の要因であることは間違いないだろう。
日経ビジネスオンラインで「脱常識の世界史」(石井彰氏)の連載コラムを発見した。主流マスコミの記事であり、筆者の「ハーバード大学国際問題研究所客員」という経歴にあちら側の人だろうかと思いつつ、あまり期待しないで読んでいたのだが、これは面白い!
人類の歴史は、究極的に人口とエネルギー源という、2つの要素の変動に駆動されているのではないか。
という仮説に基づいて論じた結果、石井氏は、最後をこう締め括っている。
地球環境問題は恐ろしく厄介な問題で、安易な解決策などあり得ないという予感である。だから、人口急増と激減を繰り返した中国やエジプトの戦乱と飢饉の苛烈な歴史を近い将来に全人類的規模でなぞることや、過去40億年の生物史において99%の種が絶滅してしまったことなどが頭をよぎるのである。
数々の興味深い指摘があるので、ランダムに紹介する。
なぜヨーロッパが世界侵略したか
14世紀のペストの流行で人口が急減したが、その後の反動で増えすぎた。これが「ユース・バルジ」(ハイリスクを取る若者)を生み、冒険(欧州の世界進出)へとつながっていく。
産業革命まで世界人口は増減を繰り返していた
中国では
新王朝が成立すると、社会が安定化し、農業生産が徐々に増加するのに対応して、遅れて人口が徐々に増加していく。ところが、やがてある時点で、当時の農業技術による土地生産能力の限界、即(すなわ)ち環境容量の天井に突き当たって農業生産の増加は停止。人口は過剰となり、環境は劣悪となる。そうなると社会のストレスが限界に達し、農民反乱や内乱が勃発して、時の王朝は崩壊する。そうなると、ますます社会が混乱し、農業生産が崩壊して人口が大きく減少する。すると、今度は再び環境に余裕が出て、再び新王朝が成立し、社会が安定化に向かう。
(略)
これは、一対の草食動物種と捕食動物種の個体数推移が、最初に草食動物の数が増加すると捕食が容易になるため、一定の時間的遅れを伴って捕食動物の個体数を増加させ、それが一定レベルに達すると、今度は草食動物が捕食されすぎて個体数が減少。そうすると今度は遅れて捕食動物数が減少するという、位相のずれを伴った2つのサイクルを描くという理論である。
日本の戦国時代の背景
気温が低下したことによって、各地域の環境容量が縮小し、相対的に人口が過剰になっていったというわけである。その前提として、13世紀までは、日本でも欧州でも温暖な時期が長く続き、人口が徐々に増加していた。温暖化から急激に寒冷化に向かった気候変動によって突然人口が過剰になったことが、全面的な戦乱の大きな要因になっていることは間違いないように思える。人口そのものが急増していなくても、寒冷化で環境容量が縮小したために人口過剰になったのである。
戦国時代と言えば、イエズス会が創設され(1534年8月15日)、ザビエルが日本にやってきた時期(1549年8月15日)とも符合する。世界的な寒冷化こそが、現代まで脈々と続く陰謀ネットワークの誕生をもたらしたのかもしれない。14世紀半ばから19世紀半ばにかけて「小氷河期」といわれる時代があり、ロンドンのテームズ川でスケートをしていたそうだ。
人口ボーナス
この視点で、今を時めく中国経済を改めて見てみると、将来的に成長率が大幅低下することが不可避だろう。なぜならば、既に開始されてから数十年たった「一人っ子政策」と急速に進む都市化のため、中国の労働人口は2015年ごろには低下し始め、数年後の2018年ごろには、総人口自体が減少し始めると予測されているからだ。
中国の人口ボーナス時代は既に終わった。その後、現在の日本の状況をしのぐスピードで急速に高齢化していく。世界経済のけん引力を、中国に期待できる期間は、政治制度上の矛盾や地域格差拡大の問題を除いて考えても、そう長く続きそうもない。
「人口ボーナス」とは、人口の増加局面で経済ブームが起きることのようだ。今の日本は反対の「人口オーナス」で、人口減少が経済縮小(不況)圧力となっている。
エネルギーを消費することの本質的意味
産業革命によって人口爆発が生じたのであろうか? 出生率が急上昇したのだろうか? 理由はそうではない。死亡率が急減したのである。
(略)
通常、要因としてイメージされるのが、医療の発達ということだろうが、これは間違いではないにしても、医療に対する過大評価だろう。
(略)
産業革命、換言すれば工業化の進展は、繊維製品のみならず、鋼鉄、鋳鉄を始めとする金属製品、赤レンガ・コンクリート、ガラス、および鉄道と汽船を、廉価・大量に社会に供給して、民衆の暖衣飽食と公衆衛生インフラを支え、死亡率を大きく低下させて、結果、人口爆発を生じさせた。これらすべての製造工程は、エネルギーを爆食する。これは、大量の石炭使用によって初めて可能になった。
つまり、産業革命以降は、石炭や石油などエネルギー消費の増加が、人口増加とダイレクトに相関しているということである。

石油開発といえばロックフェラーのスタンダード石油だが、人口を増やすも減らすも・・・ということ?

物を生産するというのは、低エントロピー・エネルギー源を使用して、高エントロピー資源を低エントロピー化することにほかならない。その必然的な副産物として、外部に高エントロピー(無秩序)、すなわち、汚れを必然的に捨てることになる。
(略)
物を大量生産したり、大きく活動したりする以上、環境汚染は不可避であり、物をいくらリサイクルしても、リサイクル自体で生じる環境のエネルギー汚染、すなわちエントロピー拡大=熱汚染やCO2等は原理的に防ぎようがない。
更に、薪の採集で森林が破壊されたメソポタミア文明まで遡る
レンガ製造の燃料として、周囲の森林は大規模伐採されて枯渇し、雨期に大洪水が多発するようになる。この辺の事情は、人類最古の記録された叙事詩と言われるギルガメシュ叙事詩に記され、森林伐採による度々の大洪水の記述は、後のユダヤ教の聖書にある「ノアの箱舟」伝説のもとになったのではないかとも指摘されている。
食糧でも化石燃料の枯渇でもない。エネルギーの環境負荷の限界=人口の限界
化石燃料全体では、今のペースで使用し続けても、最低数百年は持つ。過去数世紀間のおびただしい数の枯渇論や生産能力限界説にもかかわらず、地球規模でみれば、実際に枯渇したり、生産能力の限界に達した化石燃料は一つもない。低エントロピー資源たる化石燃料の喫緊の問題は、資源量ではなくて地球環境への負荷、環境制約なのである。
人間の本性に反する農業生活
人類史をマクロ的に眺めてみると、2回の人口爆発期がある。最初は現在より1万年前から2000年前頃までの農業開始の時期である。
農業が始まったときに、何か最初の「間違い」があったのではないかと想像できる。
しばしば、地球環境問題の深刻化に関連して、「皆が昔の清く正しい農民的生活に戻ればいい」、「贅沢を止めればいい」と言うようなロハス的な提言がなされる。
(略)
実は、数十万年に及ぶ人類史(人類の定義によって長さは大幅に異なってくるが)の99%を占めていた狩猟採集時代の生活水準は、何と産業革命前の大半の農民の生活水準よりずっと良く、現代の先進国の水準により近かったというのが人類学の通説である。人類学と無縁な人は俄かに信じがたいであろう。これまで常識であった、人類は危険で不安定な狩猟採集生活から、その高い知能と努力によって安定的な農業生活を手に入れ、さらに産業革命で豊かな社会に達したという、直線的な進歩史観に真っ向から反する説だ。
確かに農業は、土地の所有、収穫物の貯蔵などを伴い、現代の金融経済の基礎となる「所有」とか「権利」という概念を生み出した元なのかもしれない。なお、R.D.ウィリング著『マネー』に、最初の通貨は穀物の種子が使用されたことが述べられている(CM)。
狩猟採集生活の夢が忘れられない現代人
例えば、遠方への旅行や別荘は移動生活の模倣であろうし、スポーツは狩猟の模倣、女性が好きな買い物は森のチェリー・ピッキング、すなわち採集行動そのもの、グルメは多種多様な旬の狩猟採集物と同様であるし、夜の社交はキャンプ・ファイアーの模倣、さらに音楽や絵画・演劇などの芸術ですら、有名なラスコーの洞窟壁画等を考えれば、狩猟にかかわる呪術の模倣と見なせないこともない。
(略)
要するに、人類は産業革命後のエネルギー多消費の高度化された社会によって、農業生活によって失われた本能的に合った生活パターンを取り戻そうとしているように見えるのである。
(略)
狩猟採集生活パターンへの激しい回帰欲求は、人間の本能の深いところから発していると考えられるので、これを抑止するのは非常に困難であると想像できる。すなわち、現代生活は贅沢というより、人類の本来的生活パターンだからである。
(略)
なぜ狩猟採集社会は人口増加率が低かったのかは様々な説があるが、移動生活によって幼児の授乳期間が平均3年以上にならざるを得ず、結果母親の生理機構から、出生間隔が最低4年以上であったことも要因とされている。
営利主義「科学」とグリーンニューディール
太陽光発電に、植物が営々と数十億年かかって自然淘汰で洗練させてきた光合成によるエネルギー資源、即ち薪炭などを画期的に上回るような存在になることを期待するのは、所詮無理がある
研究者の予算獲得のためや、関連業界の宣伝のための大風呂敷を真に受けてはいけない。だから、太陽光発電など再生可能エネルギーの技術開発や導入だけでなく、化石燃料の中で環境負荷が一番低い天然ガスで他の化石燃料を代替し、また原子力を安全・堅実に利用し、省エネ技術の開発、贅沢の抑制などを同時に進めるべきだろう。
おっしゃる通りだ。その割には、環境問題として熱とかCO2のことばかり書いてあり、「環境負荷の限界」とは何なのか(エントロピー?)よくわからないのだが。もしかして地球温暖化だと?
結論的には冒頭に引用した通り、「安易な解決策はあり得ない」ということである。どうやら狩猟採集生活が理想のようだが、現在の世界人口規模と地球寒冷化(縄文時代に比べると寒い)を考えると、来週あたりから狩猟採集生活をするわけにもいかない。
狩猟採集生活の概念に、せっかく悲惨な思い(戦争)をして築き上げてきた科学技術を組み合わせれば、何か新しい境地が開けてこないものだろうか?
なお、この論文は、加筆され、来春出版されるそうなので楽しみである。元記事はかなり長文であり、引用したのはごく一部である。是非とも全文お読みいただければと思う。リンクは下記の通り。全文を読むには、日経ビジネスオンラインの会員登録(無料)が必要。
なお、いろいろと考えさせられるポイントがあって興味深いのでご紹介したまでであって、私としては納得できない箇所がいくつかある。例えば、イスラム圏の男性識字率が向上し、攻撃性を増したため、911につながったという説明と、自作自演だという説明と、どっちがトンデモだろうか。

元記事の紹介
日経ビジネスオンライン脱常識の世界史 2009年9月17日~11月5日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090901/203916/








