掲載2011年6月23日
訳者メモ
これはデーヴィッド・アイクの"Human Race Get Off Your Knees"に付録文書として収録されている(アイクのウェブサイトでも公開されている。URLは末尾に記載)シドニーを本拠とする世界的な悪魔崇拝ネットワークの内部者が死に臨んで残した告白である。
これはいろいろな読み方ができるが、一つには、我々の日常には悪魔崇拝が蔓延していることが認識できる。この文書で触れてあるわけではないが、牛の骨を材料とする食器(ボーン・チャイナ)で食事をしていることもその一例だろう。また、大量に送られてくる迷惑メールも、その奥には悪魔崇拝組織があるのだと私は思う。営利目的というよりも、毎日のように邪悪な想念を送りつけることが目的のように感じるからである。
まずはそのように世界は邪悪な想念で動いていることが認識できるわけだが、この文書を翻訳していて、一流のサタニストの奥底には、いわゆる「良心」があることを私は感じた。良心ゆえの絶望、絶望ゆえの倒錯がある。究極的には、「自分」というものの認識を、他とは分離した存在と捉えるか、全ては一つとして捉えるかの違いになるのではなかろうか。
分離した自己 + 愛 = サタニズム という方程式が思い浮かんできた。
悪を抱き参らせるとは、悪の気持ちを理解することなのあろう。彼らは、一般民衆には決して理解されないというところでプライドを維持できている。そうしてみると、悪として拒絶するのではなく、その倒錯的な願望を理解しなければならない。彼らにとって、我々から理解されることが最大の屈辱であるに違いないからである。アイクも真偽の判断はつかないと書いているが、そういう意味では非常に参考になる文書だと思う。なお、文中の詩のような表現など、私には意味不明な箇所も多々あるので、より深く理解するためには原文に当たっていただきたいと思う。
デーヴィッド・アイクの解説
この文書は、2010年1月にアロイシウス・フォズダイク(Aloysius Fozdyke)を名乗る人物から、loveforlife.com.auというウェブサイトに送信されたものである。これは、悪魔崇拝(サタニズム)の本質と、その地球社会全体に対する影響力・支配力の深さについて述べた「死の床(臨終)の告白」であると称している。これを書いたのは、2004年3月25日に死去したピーター・ナーサゴナン(Petor Narsagonan)またの名を「友愛会員616(Frater 616)」であるという。
フォズダイクは書いている。
ピーター・ナーサゴナンは、数多くの名前を持っていた。少なくともその内一つの名前は、多くの南アフリカの人々に知られているだろう。彼は数多くのペンネームで出版した。彼が何をしていたのか、その全貌は私にもさっぱり分からないし、分かりたくもない。彼は死んだ。日頃から彼の家(複数ある家の一つで、オーストラリアのニューサウスウェールズ州ニューカッスルにある)を訪問する人物が、彼が死んでいるところを発見した。彼の死が近いことは予想されていたが、それに先立ち、奇妙な出来事があったという噂を私は耳にした。彼の遺体は慣習に従って火葬された。2004年4月30日、オーストラリアのビクトリア州メルボルンにおいて行われた火葬の儀式では、7人評議会(Council of Seven)が開催されていた。
私には、この文書が本物であるかどうか確認する術はないが、過去20年以上かけて私が悪魔崇拝とその手法・人材について明らかにしてきたことと、完璧に一致していることだけは言える。オーストラリアは、同国を支配する悪魔崇拝の砦であることは事実であり、広く世界中に多大な影響を及ぼしている。また、心理的な操縦のことなど、支配システムの手口についてこの文書で述べられていることは、極めて正確である。

サタニストの告白
Confessions Of A Satanist
第一部
私は地獄の祭壇に降りていく
悪魔の元へ
生命を与える者、暗黒の王子の元へ
私の話を聞け
天にあった我々の父は
地上でそうであるのと同じく
天においても
その名は神聖である
至福の日を我々に与えよ
そして我々を悪魔の元に運べ
誘惑とともに
我々はあなたの王国であるから
永劫にいつまでも
オーストラリアの大都市には、人々を魅了する蛍光灯が輝いている。悪魔崇拝は、雨に濡れてきらめく、真夜中の濃紺の街の下に栄える。悪魔崇拝の実践者は、様々な職業に就き、生計をたてている。社会の周縁に追いやられた者たち、取り憑かれやすい性質を持つ者たちは、悪魔崇拝とその指導者たちが目的を達成するために重要であり、今後も重要であり続けるだろうが、ただの道具に過ぎない。彼らの信仰至上主義(無律法主義)的な影響は、今となっては広く蔓延しており、容易には気付かれることはない。
最上位の階層には、政治家、医者、警察幹部、弁護士、広告業界の第一人者、勲章を受けた軍人、マスコミ関係者、ファッション・モデル、社会福祉関係者がいる。最下位の階層(通常は一時的なメンバー)には、売春婦、小物の麻薬売人、多くの高校生がいる。どこから出現したのか不明瞭な者もいる。犠牲者は、マインド・コンロトール手段と心理的な拷問技術を組み合わせたものを点滴注入され、完全な記憶喪失状態にされる。それにより大半の人間は、どうも普通とは違うという懸念を抱き始めることさえなくなる。昔からずっと普通ではないことが行われてきた。
メンバーの中でも才能豊かな者は、犯罪で維持されたライフスタイルをもっているが、社会的地位の高い職業や知識の豊富さを薄っぺらな化粧板として、それを覆い隠している。
彼らは上品さを纏《まと》っている。時代を超越した策略をネットワークを築いて共謀し、マネーだけでは手に入れることのできない夢を見ている。彼らは、判断力と日々の知覚の双方の輪郭を歪める力を持つ人物であることが多い。私には全ての名前を挙げることはできないが、十分な手がかりを残しておくことにする。医者たちは、私がどれだけ長く関与してきたか正確に述べるのを拒んでいるが、しかし・・・
私が下劣な事業に絡むようになったのは、痛烈なまでに楽観的な運命論と悪趣味の服装の時代に過ぎなかった1970年代のことだ。薬物に狂った1960年代の繰り越しとして始まった1970年代は、やがて両性的なグラムロック、ウォーターゲート事件、映画『ローラーボール』の浅薄な楽観主義へと引き継がれていった。冷戦を背景とした萎縮と、アジアを拠点とした新たな帝国主義紛争による苦悶の復活が混合されたごまかしを拒絶するものとして空想科学主義が闊歩した。
私は人間の瓦礫の中を無我夢中でさまよい、現実の裂け目に落ちた。そして、あるスピリチュアルな結論に達した。短く言えば、どうやってそこに到達したのかは分からないが、何故そこに到達したのかは分かっている。1970年代は陰鬱で甘い言葉に満ちた時代であり、その時代を生きた者でなければその真価は分からない。全面的に価値観が棄却され、また、美の標準としてポルノグラフィが採用され、それをもってあらゆる努力が類別されるようになったことは、私自身を含め、全ての人間の想像力《イマジネーション》に印象主義の指紋を残した。私は異質な反応をし、分析をしたのだろうと思う。そうやって、西洋社会の断層線の一つを抜けて、私は俗世間から逃避したのである。
不合理ゆえに、信ず!
孤独な大学生だった私は、魔術に手を出すようになった。初めて集会に参加したのは1971年だった。幸福、性的快楽、興奮と安らぎへと導かれることを望んでいただけだった。私のルシファー主義の師匠に会って一週間もしない内に、私はシドニーでいくつかの旅行会社を経営するようになり、1年に最低4回は海外に飛んでいた。私には、ジャガー(自動車)、都会のアパート、田舎での休暇があり、シドニー港に係留したヨットと女をいつでも利用することができた。私は若く、悪魔の下部組織のぼんやりした薄明かりの中で、これから昇る星だと思われていた。下界はエナメルの革靴をはいた私の足元にあった。スーツはイタリアの手製だった。クラバットとネクタイは中国の絹で、私の淫乱な女メイドたちはフランス人だった(フランスのメイドのような服を着て、よくレスビアンのショーで私の目を覚ましたものだった)。
その当時、米国に拠点のあるサタン教会(Church of Satan)は、ほぼ1世紀前に始まり、魔法のルネッサンス(ドイツに始まり、19世紀末からイングランドで花開いていた)からの信奉者を淘汰した、ある運動のほんの表向きの顔だった。サタン教会は、その存在そのものが人々に想像されることもなかった古代組織に奉仕する前線組織の一つだった。その歴史や有力なメンバーについて詳しい情報が必要であれば、故J・P・モルガン、ジェームズ・マクドナルド、ルネ・ハーディ、ケネディ家(ジャッキー・ケネディを含む)、アービング・バーリン、グルーチョ・マルクス、エルビス・プレスリー、ガーナー・テッド・アームストロング、サミー・デービス・ジュニア、ロナルド・レーガン、エドワード・ヒース、トーマス・プランタード・デ・サン=クレールを調べてみるのも悪くないだろう。また藪〔アイク註、ブッシュ家のこと〕の中も探してみると良い。
予言、暗黒の瞑想、生け贄、死姦、魔除け、ブードゥー人形、性魔術と、私は魔術の魅力を学び、熟考した。私の人生は、計算された乱行と、眩惑の達成の人生だった。私は、手作りのパルタガス・キューバの葉巻を吸った。私には、私の気まぐれに常に喜んで応じてくれる秘書がいた。もし私が交替を望んだり、仲間に好印象を与えるために必要ならば、同じ趣味を持った他の人間を喜んで見つけてくれた。私は毎日を、レストランの食事、フランスのシャンパン、忘れがたく言いようのない喜悦の悪魔のミサの乱交で終えた。
街の人々は、もっと無邪気でナイーブだった。アメリカの諜報機関は、依然としてオカルトに資金を供給し続けていたが、独裁的に指示を出すというよりも、機嫌取りをしている感じだった。いずれにしても、多くの米軍上層部の男たちは、様々な悪魔ロッジや同類組織のメンバーになっていた。しばしば、微妙な問題のある物資や有力な人物(暗いビロードの影に名を隠し、安全快適なところから活動していた)は、アメリカとオーストラリアの海軍の船で輸送されていた。石油タンカーも、好んで使用された。物資(そして人間も)は、何年も石油タンカーに乗せられたまま隠され、行方不明になった。忘れてほしくないが、これはアメリカの犯罪シンジケート組織がオーストラリアを含む西側世界に麻薬市場を築いていた1970年代のことである。
私は彼女のことをリリスという名で知っていた。超秘密主義のタイフォン暗黒会(Black Order of Typhon)の高位の女司祭だった。彼女は、正真正銘の神経症患者の穏やかな微笑と天使の身体を備えていた。彼女の長く残酷な爪は、彼女の犠牲者とその幻想の粋で高価な軽痒で美しく彩色されていた。嗜尿者たちは彼女の足元に跪《ひざまず》き、あらゆるサディスティックな命令に従った。彼女の顧客は、そうした人々だけではなく、町の有力者たちも含まれていた。彼女は、神秘的な香りと富と淫らな誘惑を伴って、役員室と有力者のバスルームを頻繁に行き来し、実に多くの人々の関心を集めては影響力を持っていた。
私が彼女に初めて会ったのは、シドニー郊外の中心に近いところにある荘厳な屋敷で、定例の黒ミサに参加したときだった。このミサは、欲望とオカルト知識と性的倒錯の絆を強化するために開催されていた。そこで彼女は、悪魔の忠実な信者たちを満足させ、他を指導し、また、アングラ過激ポルノ(獣姦、小児愛、排泄物、苦痛)として存在していた1970年代の闇市場で売るビデオの撮影を受けていた。彼女は、「暗黒の支配者《ロード》」に奉仕した後、疲れきった様子でマリファナ入りのタバコを吸いながら、まだ17歳だと私に話してくれた。彼女は、主人《マスター》に会ったことがあると言った。そしてマスターは彼女に任務を与えたという。
リリスは、シドニーの堅苦しい郊外の街の子供だった。私立学校で教育を受けた彼女の将来は父親のビジネスにかかっており、彼女は自らを犠牲にして、今日では(その筋の人によって)世界で最も有力で重要な悪魔崇拝組織と考えられている組織を築き上げることに協力した。その集団は、かつて存在した中で最も教養あり、裕福で、堕落し、腐敗した人々で構成されていた。そして、彼らはシドニー(オーストラリア)を拠点にしていたが、その影響力は海外に広く及んでいた。
彼女は飛行機で米国へ行き、その当時オルド・カヴェ・ルパム(Ordo Cave Lupam)と言われていた、淫欲の素質、調和に必要な道義心を備えた職業女性からなるアントン・ラ・ヴェイ(Anton La Vey)の悪魔崇拝シスターフッド地下組織の一員となるように教育され、秘伝を受けていたことが明らかになった。既にリリスは高校生のときに、高校教師(黒魔術の達人)に目をつけられていた。全ての悪魔崇拝者に共通することだが、その教師は、抑圧された人間の欲望を探求することによって、真実と救済がもたらされると信じていた。ポルノは喜びを与え、喜びは強さを与えた。彼は、その献身と性倒錯の才能を通じて彼女の協力を確保し、政治的陰謀と有力者の堕落という彼女の使命を果たすための新たな教育を始めた。
オルド・カヴェ・ルパムでの「教育」を修了した後、リリスはイギリスの紳士(私はピンダーと呼んでいた)の指導を受けた〔アイク註、私はこのピンダーに相当する男のことを、過去の著作で何度か取り上げている〕。私は彼に会ったことはなかったが、法定相続人の実の父を崇拝していた。彼が教えたのは、アイルランドの退廃の奥義だった。彼の名前を口にすると、リリスはよく「小さな子供のバラの赤い頬」と笑って歌ったものだった。
リリスは、多くの悪魔主義者の堕落した欲望を満足させるため、子供たちを調達した。独身の若い女と料金を定めて契約して調達したり、偶然の成り行きで調達したり、単純に盗んでくることもあった。子供たちは、有償で「成果物」を明け渡す無職の若い女性(ブルードメアと呼ばれた)を使って、様々な目的に合致するように交配され、出産・育成された。この魔術的なポルノは映画化されたこともある。子供が死んだこともある。幼い子供が磔にされ、あるいは赤子が蹴り殺されるところを一度見てしまった人は、二度と以前の人格には戻ることができない。シドニーで開催されている黒ミサに関して、最も穏やかでなかったことは(今でもそうだが)、あまりにも容易に犠牲者を調達できることだった。様々な州の警察本部長がメンバーで入っていたとはいえ、警察はまるで実効ある手段をとることに関心がなかった。かく述べたからといって、悪魔崇拝者は、単に性的倒錯者、幼児殺人鬼に過ぎないという意味ではない。
私がメンバーだったアルファ・ロッジは、理論と実践の両面において魔術に多大な重点を置いていた。悪魔《デーモン》が呼び起こされ、派遣された。神秘的な印がつくられ、血を流すことが奨励された。これに関連して、自らの限定された知識に満足している多くの人々は、アレイスター・クロウリーが現代悪魔崇拝の父だと思っているが、これは誤りだ。おそらくクローリーは、現代の「左手の道《レフト・ハンド・パス》」〔訳註、西洋の秘教で右手と左手に二分対立している片側〕の祖父であるが、このグループの継父は、混沌派(Chaos Magick School)の創始者ピーター・ジェームス・キャロルである。これには多くの理由がある。オーストラリアでは、周辺的なフリーメイソン組織からの人材調達に依存していた20世紀初頭から、1920年代のハイ・マジック、60年代から70年代のロー・マジックを経て、現在カオス・マジックの実践者の中で有望と見込まれている候補者(一般的に若く熱心な人々で、その生活スタイルの選択によって悪魔崇拝の暗い世界に運命付けられている)にいたるまで、様々な黒いロッジ(Black Lodge)が発達してきた。
黒魔術師たちは、オーストラリアなどで多くの富裕層向けエスコート・クラブを経営している。それでも売春宿とポルノは、国際的な悪魔帝国の財政的にはわずかな割合を構成しているに過ぎない。大部分の資金は、薬物(CIA)、高度な技術の恐喝、金貸し、為替(通貨)取引によっている。序列の高位にいる悪魔崇拝者は、アメリカの富裕な保守派、新右翼キリスト教会など様々な組織の背後にいる。こうした組織が、現代の悪魔崇拝に最高のキャッシュフローをもたらす事業(多くは間接的)であり、大量の人々の教化とネットワーク化を可能にしている。
アルファ・ロッジの狙いは、2010年までに西側世界の少なくとも66%を文盲にし、2030年までに地球人口の少なくとも70%を駆除することにある。あらゆる政府は、そのシープル(従順な国民)が典型的な幼児的ファッション(無意識に、より強い力と一体感を持たせるようなファッションを含む。それが奴隷化、虐待、屈辱をもたらすものであろうとも)に感応することを期待している。大部分のオーストラリア人は、成人として機能しておらず、完全な満足を得ることは滅多にない。弱い者は、自らが強いと言わなければならないものだ。これに関連して、国連への悪魔崇拝者の浸透(これは1970年代に始まった)は、ヘンリー・キッシンジャーの活躍と合わせて、十分すぎる成果をあげてきた。最初に中東で、そして世界中で戦争を進めるために、キリスト教原理主義を利用するよう準備したのは、キッシンジャーだった。このため、キッシンジャーは、リチャード・ミルハウス・ニクソンがジェラルド(常に我々の一員だった!)に手綱を渡して以降、数多くのアメリカ大統領の支援を受けた。
国際的悪魔崇拝の本部がオーストラリアのシドニーであることを考えると、修道会《オーダー》の祭司をしていたノーマン・リンゼイ〔アイク註、1879~1969。有名なオーストラリアの芸術家・作家〕が悪魔崇拝の聖者と思われても不思議ではない。実際に、オーストラリアとイギリスの全土に、彼の記念に捧げられた秘密神殿が数多く繁栄している。春分・秋分のときには、彼のために人間の生け贄が捧げられ、彼の絵画や児童文学は、微妙ながらも性倒錯の影響を及ぼし続けている(同種の神殿は、ヘンリー・キッシンジャーの権限の下、アメリカにも存在するが、キッシンジャーはアメリカのアルファ・ロッジ神殿の組織構造と微妙な気質の双方を変えた)。あらゆる政治的な対策は、より複雑な問題をもたらすものだと教えたのがリンゼイだった。
彼は、一般市民が支配・操縦者(悪魔崇拝者)に関心を持たず、人々の些細な生活に直接関係しているような小さな問題や取るに足らない犯罪にばかり目を向けていると忠告した。現状というものは民衆(多数)によって維持されているのであるから、民衆が重く(辛く)なればなるほど深く沈んでいくし、恐怖も大きくなっていく。民衆は成功したり、成し遂げることができない。だから、より深く辛苦をなめることになり、もっと強く忍耐しなければならなくなる。多くの人は死ぬまで延々と同じ毎日を繰り返すが、この事実は人間(人間以下)の置かれている状況について実に多くのことを語っている。
キッシンジャーは、ヒトラーの「恐怖のテクニック」をさらに巧妙で強力なものに進化させた「緊張のテクニック」を編み出した。社会の中に緊張を生み出し、その上でスケープゴートを仕立てあげるテクニックである。ダーク・パス(暗い道)の熟練者は、不気味で恐ろしい行動を取らせるよう、人々を動かして指揮できる権力を得る繊細な手法としてこのテクニックを使う。最近のオーストラリアでは、課税目的の事業報告(BAS)と「出入国の議論」が非常にうまく機能した。「テロとの戦い」も、計り知れない国際的な影響を及ぼした(ラ・ヴェイの悪魔崇拝の聖書の影響も継続しているが、それ以上だ)。大統領のジョージ(ブッシュ)は、表向きはキリスト教徒かもしれないが、本当の意図は別のところにある。(こうして、あらゆる手口をシープルが受容してしまった今では、第二次世界大戦の最中の方が安全に街を歩けたといえる状況にある。これは、全ての交戦国の都市について言えることだ)。
現代の世界に悪魔崇拝の影響などあるのかと疑うならば、以下の問題を考えてみるとよいだろう。世界銀行によると、オーストラリアは地球上で最も裕福な(または南アフリカに次いで裕福な)国である。オーストラリアの天然資源の豊富さは誰にも測り知ることができないが、それでもオーストラリア人の生活水準は年を追うごとに悪化しており、世界で最も重い税金を課せられ、急速に第三世界並の国になりつつある。誰がオーストラリア準備銀行(RBA)を保有・支配しているのだろうか? ヒントは、アメリカの連邦準備制度とイングランド銀行を保有しているのと同じ人々だ〔アイク註、ロスチャイルド家だ〕。
なぜ外国所有の企業はオーストラリアの税金を殆ど払っていないのか? なぜオーストラリア政府(どの政党かに関係なく)は、海外の鉱業コングロマリットが国民の資源を略奪するのを許し、オーストラリアに殆ど還元しないのを許しているのか? なぜフッ化物がオーストラリアの水道に入れられ、それを排除することができないのか?
一つのパターンが発見できないだろうか? なぜ「自由な世界」のマスコミがこれほど厳重に管理され、共生とも言うべき政府との恥ずべき密着関係にあるのか? なぜ西側世界の教育水準は、強制的に「やさしく改訂される」のか?(この傾向は、オーストラリアのアルファ・ロッジの示唆を受け、1980年代にスピルバーグとルーカスの両名が加速させた) なぜ多文化主義が「第一」世界(先進国)に押し付けられてきたのか(日本は例外だが)? そして、9・11の工作の背後にいたのは誰か? どの国の諜報機関が、イラク侵略の「理由」となった大量破壊兵器というストーリーを提供したのだろうか?(キリスト教の国でもイスラム教の国でもない)
アルファ・ロッジの政治家(または政治アドバイザー)は、シープルの権利を尊重し、シープルが抱える問題に関心をもっているふりをすれば、たとえ多くの人に策略であると気付かれるとしても、シープルにとっては計画や政策に従うのが一番楽な方法なので、そうするだろうと認識している。これが事実だ。民主主義のプロセスにより、シープルにはいくらか欲求不満のはけ口も用意されており、鬱積した失望や敵意からの苦痛も軽減されるが、実際には何も変わることがない。議会制民主主義の政治制度はいたるところで採用されており、どこでも同じ現象を見ることができる。
シープルは、常に自らの気まぐれを理屈や論理で正当化するが、その習性を利用し、アルファ・ロッジの会員は、神秘的な説得術を使いながらも、表面的には温和な話し方をすべきであると教育されている。あとは待っているだけで「政府は○○すべきだ」というスローガンが自然とマスコミから湧き上がってくる。そして、どこの国の政府であれ、どんな政党の政府であれ、政府はそれを実施する。
オーストラリアの悪魔崇拝者は、常に「児童ポルノ」専門の高画質ビデオ・DVDの最前線にいた。シープルとはそのようなもので、「正義」の大切さを叫びつつも、自分自身に危害がなければ、まったく関心を持たない。シープルの道徳観は「群れ」の心理であり、群集の中の孤独を感じれば感じるほど、悪魔崇拝者の支配は容易になる。禁じられた形態で話題・問題を提供しておけば、シープルは自らを分断された弱い存在だと感じ、罪悪感を持ち、しばしば無価値な存在だと感じるようになる。いずれも悪魔崇拝のマスターたちが自らの目的のために利用する手段である。オーストラリアで製作される小児性愛エンターテイメントには、性的な狂乱、陵辱、汚物、嗜糞(糞便で興奮する)、拷問、強姦、死体など、ある種の前衛的な内容が目立っている。
いずれも、性欲促進剤と暴力により増幅され、入念に製作されている。こうしたことに携わっている者では、男よりも女の方が遥かに凶悪なものだ。残酷な指、先を細らせた長い爪、歯、タバコ、魅惑的な美しさと堕落を備えた女の実践者たちの変態行為によって、幼い少年たちが苦悶する。無情のプライドで激昂した彼女たちを制限するものは何もない。生殖器を拷問したり切除するのはごく普通の行為である。ワニ口クリップを責め具に使い、ロープ、鞭、ディルドー、ひざ当て材、電気ショックによって多くの少年たちが心からすすり泣き、絶望の嘆願をし、血と涙を流し、悲鳴をあげていたのを、私は決して忘れることができない。
しばしば悪魔崇拝者は、若者文化の無料配布の街頭新聞に広告を出す。そうして途切れることなく、十代の志願者が供給され、そこから採用・利用できる。都市部の子供が騙され、利用されて、捨てられることが多い。行方不明の子供が一人増えるだけの話だ。喫茶店、都市型総合娯楽施設、さらには若者中心の福音教会までもが、純真な子供たち、そして、家庭が壊れ夢も破れ、荒んだ心の子供たちを誘いだす場所として今だに利用されている。(ありがとう、ライオネル)
通常は、一定の階級に達したメンバーが、この役目を見事に果たしている。彼らの仕事(試練)は、伝統的な悪魔崇拝ロッジの人材を選抜する基盤となるアウター・テンプル・ティーチング・オーダー(外部寺院の教育組織)を設立・維持することである。候補者が受付られると、一定の期間内に、その性格、想像力、知性の順に評定される。
放蕩は科学として計画的に教育され、維持される。厳しい内容であり、遵守が要求される。
儀式が行われ、思案パターンが確立され、関係が破壊され、依存状態が強化される。サイコパス(精神異常者)を研究し、その性質を真似ている。
最も凶悪で、有能で、相手の警戒心を解かせる暗殺者は、女である。アルファ・ロッジの中では、彼女たちは、暗黒の女神の化身として崇拝されている。この女神には数多くの名称がつけられているが、それでも処女である〔アイク註、リリスなど、爬虫類人の月の女神は、この女神を表現したものである〕。
現在、アルファ・ロッジ・オーストラルアジアの外側《アウター》のトップは、高い地位にある〔米国〕連邦の政治家であり、悪魔崇拝での名前はベスティアという。内側《インナー》のトップは、英連邦のクラウン・オフィス(王座裁判所刑事部)の最高位の刑事である(前にクラウン・サービスの官吏をしていたギリシアのエケトリーニ王女、別名シーラ・フレーザーと交代した)。こうした国際的な悪魔崇拝の最上層部にいる人々は、ともに協力して時間をかければ、できないことは何もないと信じている。それに、今まで彼らがしてきたことの半分でも知っていれば、それが誇張ではないと納得できるだろう。
様々な世界の傾向が「必然的な結末」へと合流していることに気付いているか、自問してみるとよいだろう。社会の仕組みは偽りで築かれており、どこの政治家もますます厚かましく極端な対策と成果をあげている。こうした状況に、とっくの昔に気付いていてよさそうなものだが、人々は気付かなかったし、いまだに気付いていない。現代のマスコミは、セックスと甘いエロチシズムの合成物である。西側世界の飲み水には、時とともに強力な影響を及ぼす化学物質が混ぜられてきた。鬱病、自殺、近親相姦の発生率と銀行の金利は上昇し続けるが、だれも問題を解明するという面倒なことはしない。
次の全員に共通することは何だろうか? ノーマン・リンゼイ、ウィリアム・マクマホン「卿」、ガーフィールド・バーウィック、ライオネル・マーフィー、ロザリン・ノートン、クライド・キャメロン、ステファニー・バーソロミュー(アビガイル)。大部分のオーストラリア人は、どこからニュースを得ているだろうか、そしてそれは何故か? オーストラリアのパイン・ギャップ軍事施設にマイケル・アキノはどんな利害を持っているのか? オーストラリアの社交界とメディアでは、基地の使用と目的に関して議論することが認められないのは何故か? 〔アイク註、アリス・スプリングズの町の近くにあるパイン・ギャップは、爬虫類人の主要な地下基地であり、オーストラリアとアメリカが共同管理している。また、イギリスのメンウィズ・ヒルを含むエシュロンのスパイ・監視ネットワークの重要拠点の一つである。故マイケル・アキノは、米国の陸軍将校で、マインドコントロールの工作員だった。彼は、アントン・ラ・ヴェイのサタン教会を去った後に、悪魔の「教会」としてセット神殿を設立した。『大いなる秘密』を参照されたい〕
私は一人の王子を信じる。この地球に君臨するサタンのことだ。そして私は全てに打ち勝つ一つの法則を信じる。私は一つの神殿を信じる。サタンにつながる神殿のことだ。そして全てに打ち勝つ一つの言葉を、恍惚の言葉を信じる。そして私は永劫《イーオン》の法則を信じる。それは犠牲である。そして、涙は一滴も流すことなく、血を滴らせることを信じる。私は火を与える王子を賛美し、彼の統治の実現を心待ちにし、来るべき歓喜を待ち望んでいるからだ。
オーストラリアにいるクラウン・サービスの官吏の多くは、1967年12月19日の夕方に解任された。時計が1975年11月11日の午前零時を告げたとき、オーストラリアにいる大統領の男たちは静かに祝っていた。2つの諜報機関には、いまだにウォード博士の亡霊が絡んでいた関係があった。両方の機関とも、オーストラリアの悪魔崇拝のために、こうした出来事に対応した。前者のケースでは、エリザベス2世が困惑しないように救うためであり、後者のケースでは、ゴフ・ホイットラムが彼らの一員ではなかったためである。この時点で、ジョン卿が王女とアルファ・ロッジ・オーストラルアジアの内側トップに対する義務を果たしたことを私は確信している。そして、ガーフィールド卿がそれを説明した。〔アイク註、ゴフ・ホイットラムは、オーストラリアの国家元首としてイギリス女王が唯一罷免したオーストラリア首相である。女王は、1975年の工作された「憲法危機」の最中、総督のジョン・カー卿を通じて、これを行った。ガーフィールド・バーウィック卿(最高裁判所長)は、カーにホイットラムを除去するよう勧めた。悪魔崇拝者でないと、政治家の出世にはマイナスのようだ〕
多くの人は、J・W・ハワードがオーストラリア連邦の首相として初の外遊が、第33階層のフリーメーソンの資格を受け取るためだったことは知らない。彼は、信仰に関しては、神秘的な理解を断固として否定する考えを表明しているからである。彼は、並行人格の典型例であり、従順なマスコミはその真相にまったく触れていない。ハロルドとその政党については、人々が気付きつつあったため、同じことは言えず、実際にウィリアム卿が招かれた。
オーストラリアの邪悪なロッジ、その神殿、信奉者や操り人形のネットワーク、人脈、歴史について、人々は知っているとしても、ごくわずかなことしか知らない。奇跡的なまでに成功した政治家がいる一方で、ことごとく妨害を受ける政治家がいるのは何故か? 選挙で見事な成果をあげているニューヨーク拠点の広報企業にジョンが金を払っていたというのはどうだろう? 手間をかけてオーストラリア連邦の財務省の記録を調べてみたことがあるだろうか? それで探している情報が手に入っただろうか?
悪魔崇拝との関係の薄い(あるいはせいぜい月並みな関係だった)首相とともに流星のごとく出現した政権が、連邦政府に変化をもたらしたのと同じ年に、私はアルファ・ロッジ・オーストラルアジアの外側《アウター》のトップになった。だが、やはりこの首相もまた、悪ふざけが好きであり、我々にとって例外的だった人々の多くが、金のために喜んで彼に同調した。彼は尊敬と控え目な評価を切望していたが、その両方を彼が費やした努力によって得た。
私は(できる限りの努力をして)アルファ・ロッジを去り、もっと普通の生活(できるだけ媚びへつらうことのない生活)を取り戻そうとした。私は、反キリスト教の小論文、政治パンフレット、ポルノのビデオを発行する出版社を経営しており、国際的に数多くの組織と仕事をしていた。最近、イギリスの極右政党に、非常に古くから孤立した「左手の道」グループが潜入しているが、この不吉な進展はアルファ・ロッジにとっては良い兆候である(今日では、デーヴィッド・マットは、ヘブドマドリー(7)・マジカル・システムの代表者というよりも、預言者と考えられているけれども)。
(イギリスでは、そして次第に米国でも、「9天使の修道会《オーダー》」は、よりオープンな手法をとっているが、オーストラリアでは依然として目立たないように活動している。)
最古の家系が衰弱の一途であるため、国際的悪魔崇拝の勢力が増強し続けている。現実世界ではマネーが権力を与え、最も良い位置に配置された人間が金融市場を思いのままに動かして勝つことになるが、彼らの求心力(磁力)と魅力は色あせており、その未来はかつてないほどに薄弱になっている。彼らの収穫の日々は終わりに近づいているのかもしれない。彼らの遺産として最も永続するのは、彼らが築いた権力構造と人脈である。キリスト教の破壊を主目的とする多様な組織に彼らが資金を提供していることは決して語られることがない(最近の社会運動として最も成功した例が、「神よ、二度と司祭に私を強姦させないで!」の運動(1980年代後半から現在まで)であり、「ライラック神学校」の促進だった)。1980年以降の現代の悪魔崇拝は、熱心に学ばれた真実とうまく実践された技法の成果である。我々の存在がより明白になっていることは誰でも知っているが、隠れている必要性もなくなってきている。常に華やかで短命な夢に過ぎない最新ファッションの世界は、大胆で魅力的な性質を備えた「若く甘いモノ」を公然と効率的に採用するための基盤となった。億万長者たちは、悪魔崇拝のアルファ・ロッジが提供する内部情報や精神的快楽をますます求めた。多くの人は知らないが、悪魔崇拝は儀式をベースにしており、それを長い間繰り返し実践することで、形態場《モーフィック・フィールド》に強い印象を残すことになる。これが、「左手の道」グループの本物の信奉者にとっては、強い安心感と快適感をもたらすことになる。
政治的には、悪魔崇拝に浸透したトゥエインの自由意志論が、シープルは自由を望んでいないという認識に道を譲った。シープルは自らを閉じ込める囲いを築いて幸せを感じる。キリスト教の二千年間によりシープルは飼い慣らされ、悪魔崇拝はさらに牧草地の奥へと右翼の位置を取り始めた。いずれにしても、あらゆる銀行の金庫室のドアは右に開く。全てのリーダーは独裁者であり、シープルは自らの労力で食べる。それを自ら望んでいるのだ。
今や初期の妄想から自由になった悪魔崇拝は、人類の哀れな性質を全面的に受け入れ、派手な迷信のパッケージに包みこんだ。
悪魔崇拝は、1997年のメーデー〔アイク註、イギリスでトニー・ブレアが首相に選出された日〕に、ついに主要な左翼と中道の政党にも浸透することに成功した。別のグループは、ずっと昔にアメリカ議会を買収しており、アルファ・ロッジは共和党に専念していた。これは高い見返りをもたらしてきた。現在、アメリカの連邦政府は、我々の曲に合わせて踊っている(若干のステップを省略して。私の言いたいことが分かってもらえるだろうか)。
「左手の道」グループの中では、サタンは最高の王子(地獄の階層は、王子から始まる)である。彼こそが「他の者」、明るい炎を与える者、照らす者である。彼こそが、敬うべき唯一の神である。悪魔崇拝は、強奪を基本とする精神的ダーウィン主義である。献身的な悪魔崇拝者は、彼ら自身と、その性行為を、暗黒の支配者《ダーク・ロード》に捧げる。全て地獄の恵みを得るための基本動作として、願いが告げられ、聖歌が唱えられ、あるいは、祈りの言葉が読み上げられる。
知られていない(存在が疑われることはあるが)地獄の神殿が世界中のあらゆる主要都市(バチカン市も含む)に存在する。毎日、毎夜、毎時、人々は承知の上で悪魔の礼拝に携わっている。人間の生け贄(儀式的に迅速になされることもあれば、ゆっくりと時間をかけて弱らせることもある)は、全て特定の目的に向けられている。
犠牲者のことは「仲間内の小さな秘密」として受け入れるだけの条件や状況を満たしているかどうか、慎重に等級分けされた仲間によって選定された政治家が招待される。世界中で政治家に猥褻行為をされ、身体的に虐待を受けた幼い子供たちは、速やかに生け贄にされる。広大な荒野を持つオーストラリアでは、遺体が発見されることは滅多にない。
海外では火葬が好まれる、オーストラリアの悪魔崇拝アルファ・ロッジも必要ならば利用可能な火葬場があるが、火葬にするのは驚くほど珍しい。信じがたいかもしれないが、毎週多くの遺体が、人気のない茂みの土地の「傍らに投棄」される。
新進の悪魔崇拝のリーダーたちは、若く、抜け目なく、有能で、無情である。彼らは、自らの感情と知性を熟知し、支配している。その多くは、実業界、政界、法曹界、芸術界で活躍している。彼らは裕福で、機動性に富み、次世代の人々にとってスマートな手本になっている。このため、権力が栄光を意味する悪魔崇拝の次世代にとって欲望は高貴であり、新世界の男女にとって自由は最高の理想である。彼らは、生け贄の堕落を、彼ら自身の権力と神への儀式として利用する。犠牲者は様々な状況で苦しめられることが多い。全ての犠牲者は、「未来の新しい男女を創造すること」そして「古いものを凌駕すること」のために捧げられる。
今や国際的なサドマゾ地下組織に発展しているが、この組織は悪魔崇拝者が1980年代後期にシドニーで創設したものである。犠牲者は、世界中の主要都市、どこまでも広がる郊外、荒んだ住宅団地の隔離された部屋でおぞましい儀式によって死ぬまで虐待される。参加者の多くは、その特殊な欲望と教育された嗜好を満たすこと以外は何も知らないが、こうした集会は全て本質的に悪魔崇拝であり、目的は魔術である。この暗黒の超秘密主義の組織は、腐敗と破壊、恐怖の抽出、石のような沈黙を守らせるために利用された。(オーストラリア南部の「一家」を覚えているだろうか? これほど多くの人が都合よく電気火災で死ぬ原因について疑問に思ったことはないだろうか?)
あらゆる種類の体液は悪魔崇拝者にとって神聖であり、魔術的な目的に利用できる。表現の一形態としてサドマゾヒズムが認められたのは、常態を破壊し、主流のキリスト教の価値感を逆転させる悪魔崇拝者の活動の成果である。サドマゾ組織は、私が会った中でも最も天才的な変質者を採用する基盤として活用された。そして、インターネットの出現により、過激なハードコアのバスルーム(トイレ)・セックスが、重要なサブ・ジャンルとなった。
今日、アレクシア・ケイジ(そして増加中の彼女の友人たち)のようなスターが、ほんの数年前では考えられなかったような地位に就き、楽しんでいる。実際、トイレ・セックスの若手女優の多くは、献身的な悪魔崇拝者であり、アルファ・ロッジの会員または提携者である。こうした人々が世界に存在することで、暗黒の王子は、物質宇宙に啓蒙(光)を伝えるという目的を達成している。付随して、トイレ魔術は、独自の「左手の道」のテクニックの開発を続けており、そこでは便所は、女神を現すもの、女神につながる聖杯としての意味を持つ。(ごく一例だが、今日の西側世界全般の男女共学施設では、あらゆる年齢層にバスルーム・セックスと「フルート演奏」が蔓延している。女司祭長のモニカ、「白い」魔女フィオナのおかげだ。)
世界の人々は容易に操られる。結局のところ、ホモ・サピエンスは群れの動物だ。大衆は「色」と「動き」だけだ。政策の選択の余地のない選挙を与えられても、大部分は満足している。その子供たちに、本物の成功の見込みを与えてはならない。自然の衝動(特に性的な衝動)は禁止する。選択肢を制限し、その選択肢は粗雑なものにする。そうすれば、社会(かろうじて社会といえる程度だが)は、前もって定められた部品へと急速にばらばらになっていく。家族はなくなり、言われた通りのことを「自由に行う」だけの弱い個人ばかりになる。サタンは素晴らしい「システムの男」だ!
すでに世界中に、個人主義的な精神論がはびこっている。魂と目標は、快適さとルシファー的スタイルに誘拐されている。「ロックンロール」の神と女神は、次の世代のハートとマインドを魅了した。ブラック・メタルの音楽家・魔術師の大胆さ、彼らがくり広げるマントラは、功績をあげたこの私でさえも、いまだに興奮させられ驚嘆させられる。広告では、認容可能な水準が少しずつ崩れ続けており、この頃では殆どなんでも良いという認識になっている。世界唯一の超大国という外交政策は、イスラエルから指揮されており、我々の計画は今では自動運転状態だ。
アルファ・ロッジは次の戦争が終わり、その後に再び始まることがわかっている次の文明との中間期の諸世紀に、伝統が確実に維持されるよう、いくつかの手段を講じている。その時代には、悪魔崇拝が唯一の宗教・科学になる。我々は、我々の暗黒の支配者のために必要な魔術の兵器、文書、品物を確保した。そして私には暗雲がたちこめているのが見える。儀式活動は活発化している。社会構造はほぼ完全に侵食される。シープルは虐殺されるのを求めて集まる。ウィンデクスは我々の中を歩いている。そして、知っている(あるいは自ら知っていると思う)者は殆どいない。
もう一つ。その魅力的な、変形する、禁じられた本質。矛盾する抵抗。すなわち、その最も純粋で、ふさわしい、原型的で、変身する形態における挑戦。創造し、育て、破壊し、修復することの魅惑。大地の王子、空の支配者、海の暗闇、火の神。壮大な潜在能力、武力、影響力。多くに知られている一つの名前の魔術。陶酔。破壊。永遠。
もう一つ。勝利の優越の生命への尊大な霊感の探求と優雅な伏流。夢にも見たことのない、最も暗い悪夢を超えたあらゆるもの。恐ろしく邪悪に奪われた「知ることによるエンパワーメント」の喜び。想像力、栄誉、才能、恐怖に反映されたエクスタシーの勝利。
反乱!
自由!
もう一つ。嫌疑の除去と懸念の沈黙。変装して不法侵入すること。疑問と告発。恐怖と祝福。計り知れない過去と将来の永劫の生死の影と恐怖。
この人生で、願望し、成就し、高揚する・・・
私がそうならんとする自分自身よ、万歳。
サタン万歳。
それは一人ごとに明らかになる。
それに耐えることができる人にとっては。
* * * * * *
全能の暗黒の王子、サタンよ、地球の支配者よ
私の欲望を私に与えたまえ
エクスタシーと暗闇がありますように
混乱と笑いがありますように
犠牲と争いがありますように
何よりも、生命の贈り物を楽しむことができますように
ザザス、ザザス、ナサタナタ、ザザス
第二部
法律は人間が作ったものである。
神が創造できるものを人間は破壊できる!
何事も政治である。
人々が法律を遵守するときでも、それは政治的な決定である。
精神は道具である。国は常にそれを利用してきた。
ホモ・サピエンスは群れの動物であるから。
しっかりと自己嫌悪せよ。そうすれば世界もお前を嫌悪する。
自由は両刃の剣である。
ハンス・コルヴェンバッハ伯爵[イルミナティのイエズス会の元総長]
その若い女には、ほとんど意識がなかったが、それでも乳首は弾丸のように硬かった。彼女の魅惑的な天性の性的な香りが、ジャコウの香りと揺れる蝋燭の灯りと交錯する。幼い子供たちが教えられたとおりにポルノを再演しているのを、参加者が黙って立ち見している。その若い女は脚を開かれて祭壇の上に横たえられていた。陰毛には優雅な尿のしずくが垂れていた。子供たちが前もって用意された退廃の無言劇を真似ていると、暗黒の神と女神への賛歌が始まる。
男であったり女であったり、意識があったりなかったり、生きていたり死んでいたりするが、いつも人間の身体が祭壇になった。共通しているのは、若く新鮮な身体であることだ。高位の悪魔崇拝者の黒ミサの仕組みは、霊的な出入口を再開し、献身を教え込み、精神を美化・純化・理想化するように設計されている劇場と同じである。違うのは目的だけである。悪魔崇拝では、魔術的な効果ゆえに、男色《ソドミー》が好まれる〔アイク註、これは基底チャクラにアクセスする〕。エゼキエル書4章12~13節、列王記下18章27節、マラキ書2章2~3節、イザヤ書16章11節の秘蹟的な性質は、悪魔崇拝者でなければ完全に理解できない。あらゆる通常の形態の性的満足を得る性器結合を禁欲することも、旧来の信仰と基準を破壊し、置き換えるために利用された。通常の慣習を禁止するだけでは、まだ新参者は先入観や個人的な性癖・嗜好でいっぱいであり、それによって安心感や明確な個性が残ったままになる。もっと限界を拡大し、思考を拡大させることで、悪魔崇拝者はあらゆるものに備わっている本来の無常さや偶然性を体験する。高度に悪魔的なものであれ、低レベルの乱交パーティーであれ、黒ミサではそれを達成している。
退廃した嗜好には強い刺激が必要なため、あらゆる形態の奇怪な性器結合を探求することが奨励される。子供、年輩者、精神障害者、自暴自棄になった人間が世界中の悪魔崇拝の式典で利用されている。「左手の道」は、あらゆる嗜好の要求を満たし、あらゆる要望に応じる。オーストラリアと旧ソ連の全域で、ダウン症のポルノの市場が拡大し、嗜好を集めている。
メアリー・モンゴロイドの乱交シリーズ(1998-2001)やダウン症の愚行ⅠとⅡ(2001-2003)のように、およそ2ヶ月に一つの新作DVDがアングラ市場で流通する。それ以前には、今でも人気があるが、小児性愛者の天国とトイレ芸術ビデオがあった。これは社会の全域にくいこんでいる。ブティック・ポルノは、悪魔崇拝のアルファ・ロッジに多くの機会を提供する。西側世界が改革され商業主義のシステムが適用されたことで、高度な組織犯罪と巧妙に設置された操り人形にとってはチャンスが急拡大した。「売春宿は、宗教のレンガで築かれる。監獄は法律のレンガで築かれる」
サタンとその精神の性質を誤解することにより、誠実な信奉者は公然と世界に対してその忠誠を宣言しても問題にならない。そして実際にそうしている。多くの重要人物が、入念に計画された口実(逃げ口とまでいかずとも)を持っていたのは何故か? 車輪の中の車輪! 全ての神殿に神!
ノーマン・リンゼイの時代から、アルファ・ロッジは、よく組織化された政界との連携を保持していた。上級「公務員」、キャリア官僚、外交官が、来たるべき悪魔の時代を統合するために利用されている。A・G・(名前が削除されている)卿に聞いてみるがよい。大部分の人々は、正しいかどうか、効果的かどうか、富裕かどうか、権力があるかどうかよりも、自らの「独立」を主張することに満足する。彼らはまったく事実を知らない(またはわずかしか知らない)ため、また、自らの信念を快適に感じている(多くの場合、道義的な優位に快適さを見出している)ため、信じる。彼らは、論理、理由、歴史、法律を使う。実際のところ、彼らの先入観に沿ったもの、彼らの欲求を満たすものならば、何でも使う。
どこの政府も、自分の力で生きて死ぬ国民よりも、疲れきった状態で生きる国民の要望に応えている。政治家が人類を創造したわけではない。彼らは人類を利用するだけである。悪魔崇拝の上流階級は、大衆を道具だと思っている。心に描いた目的を達成するための手段である。個々の人間の苦悩には無関心だ。目的が全てである。その手段は、完全な功利主義と論理的決定に基づいて選ばれる。腐敗はつきものだが、認容される。女王エリザベス2世は、自らの政府の法律を知らないと公言しつつ、彼女のアドバイザーたちの影に尊大に隠れ、複雑なビジネスの構造で彼女の利権を隠しているが、誰もこれを気をとめていないようである。オーストラリアの秘密の「農場の売却」は全面的であるが、緩慢になされてはいない。人々は、自らの政府が自らを生活の片隅に追いやるのを支援している。今までもずっとそうだったし、これからもずっとそうだ。
それは恐怖《テロ》との戦いである。どこでも同じ状況だ。第二次世界大戦の最中よりも、現在の方が世界の主要都市の街路は危険だと、誰もが認める。だが、誰が気にするだろうか。歴史は、決して語られることのない物語でいっぱいである。ダグラス・マッカーサー将軍がフランクリン・D・ルーズベルト大統領に宛てた1945年1月20日(土曜日)の40ページの文書のことを、また、ポートアーサー事件〔訳註、1996年4月28日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件〕の殺人者の地位と名前を、また、12月19日の潜水部隊〔訳註、第二次世界大戦の1941年12月19日にイタリア海軍がアレクサンドリア港に停泊するイギリス艦隊に対し有人魚雷で攻撃した特殊作戦〕にいったい何が起きたのかを、知っている人間が何人いるだろうか?
存続可能な真に精神的な悪魔崇拝は、ますます公然となりつつある。これは先行した人々のためである。そして、計画が自動的に動いている今、アルファ・ロッジは過去になく公然としてきている。私は、個人名、表の組織、利害関係に言及するつもりはない。まるでディズニーランドのように、彼らが自ら発表する時代である。我々は浸透し、現代のメディアを築き、ポルノ映画の帝国をつくり、コカインを芸術に変え、若者を解放した。
我々の時代は、暗闇の神秘で満たされる。
これが我々の時代である。サタンの時代である。
イスラエルから活動している下品で俗悪なインターネットのサイトは、大部分が「左手の道」の哲学を基盤としている。例えば、アレクシア・ケイジだ〔アイク註、私はこれを読み、検索エンジンで探したところ、www.alexia-shitgirl.comを見つけた。「糞尿、嘔吐物の写真・動画を紹介する個人的な倒錯ウェブサイト」と書いてある〕。それがもたらすあらゆる可能性に、糞尿嗜好《スカトロジー》〔アイク註、排泄物の絡む性行為の趣味〕を持つ外交官やその子供は数多い。ビリー・S・(名前が削除されている)は、ソニアの腕の中で死ぬまでは、割と良い収穫物だった。
影ではビリー・ブラウノとして知られていたが、ASIO(オーストラリア保安情報機構)は記録を破壊した。裁判官、上級官僚、実業家クラブ、外交官のために、そうしたことをする。
しかし、平均的な人間たちは、気にもとめない。彼らは、腹がいっぱいならば、頭は空になり、軽薄なエンターテイメントに時間を費やす。悪魔崇拝者は思いのままに勝利を収めることができる。戦争の英雄から軟弱な男へと、勇敢な探検家から泣き虫へと、深く愛し合う夫婦から離婚へと、西洋世界を変えるのに、60年もかからなかった。そして、過去には仕事に不安はなかったが、今では誰もが医師の診断書を持っている。冷めた見方によって強化された慢性的な無気力が、社会の経済的な袋小路にゴミをまく。読み書きの能力は殆どなくなり、テレビは無意味なことばかりであり、公共インフラは保護された世襲財産であり、大部分は明日は明日の風が吹くという不吉な知識で押しつぶされている。
杖は汚れていなければならない。
杯は干された。
剣はきらめく。
皿は貫通された。
地下道は火によって貫通された。
杯は渇きによってきらめく。
剣は空気によって干される。
皿は土によって汚れる。
神殿の中の神殿の中に。
神秘の神秘をここに見出す。
後ろの道が最短の道。
水をワインに変える。
フランツ・カフカは、1913年7月21日の日記に「絶望してはいけない。自分が絶望しないという事実に対してさえも」と書いている。人々は、その有用性を逸脱し、もしくは、目に見えてわかるほど悲劇的に不完全性を内在していることが明らかな政治機構によって強化された勝ち目のない世界の中にロボットとして存在している。伝統宗教は、個人の良心への更なる忠誠を唱道し、天国は個人的・精神的なものだと説くことで教会の否定を打ち消す。そうして、国と家族は、まるで何事もなかったかのように平然と続いている。その結果、何も変わらない。アントン・ラ・ヴェイは、「平均的な国民の性質と願望を考えると、ファシズムそのものには何も間違ったところはない。今はファシズムを回避しているのではなく、ねじ曲がり、バラバラに解体され、感覚が麻痺したような種類のファシズムから、もっと賢明で真に進歩的なファシズムに置き換わっているだけだ」と述べている。
アントンは決して馬鹿ではなかった。彼は、最良の街路清掃の手段は、暴動鎮圧の銃であり、議論の余地はほとんどないとも考えていた。人々は自らに背を向け、孤独に生き、自分の代わりに他人と生きる。彼らは、自らの安っぽく不快な精神の暗い通路と、我々の明るく照らされた神話の刑務所の囚人になることを自ら認めた。
客観的に眺めるならば、サタンは魂を買う必要はない。群衆は、信仰の点滴であり、無意味な選択であり、空虚な可能性である。ラジオ、テレビ、活字媒体、広告板、そして、日々の決まりきった課題に、常に退屈した状態にある。ファッション専門家は、政界でも実業界でも、サイコパス(精神異常者)を支援している。その言葉は、それを話す心と同じく空虚であり、もはや大衆に影響を及ぼすことはない。彼らは不信の宇宙の中に存在している。彼らの役割は薄弱である。彼らの昏睡状態は、彼らの先入観と疎外された未来(たいていは短期的なもの)と同じぐらいに人工的に永らえている。
いままで提示されたもの、現在提示されているものの本当の性質が変わったわけではないし、ずっと明確でなかったわけでもない。ビールを一杯飲み、照明を落とし、夕飯のパック食品を温め、フラットスクリーンで順応を促す単純性の動画(色)を見るだけだ。親は子供に「番号をつけるとは思いつかなかったので名前をつけた」だけだが、国からは数多くの瑣末を押し付けられ、人々は落伍するまで働き続ける。サミュエル・アダムズは、1776年8月1日にフィラデルフィア州議会で「自由よりも裕福を愛するならば、自由の戦いに加勢するよりも安定した奴隷状態を愛するならば、騒ぐことなく故郷へ帰れ。そんな人の意見も武器も必要ない。しゃがみこんで、エサをくれる手をなめていればよい。あまり鎖がきつくないとよいが。それから後の世代があなた方が我々と同じ国民だったことを忘れることを願う」と見事に表現している。だが、(悪魔崇拝の)アルファ・ロッジの先駆けとなるメンバーを除けば、誰もこの言葉に耳を傾けることはなかった。
我々は永劫《イーオン》の法則を信じる。それは、生け贄であり、流血である。それは、これまで大衆が誠実さを示した唯一の教義であり、恥辱の美学である。変装したポストモダン的悪魔の優生学は、自らが「群れ」を超えた存在であることを知る者の優位性を基盤としている。彼らは、「群れ」を嫌悪の目で見る。そして、このことは、彼ら自身の範囲を逸脱したいかなる形態の関与に対しても、生命そのものを取るに足らないものにするほど、憤怒の手段を向けることに反映されている。病院では、ある病棟は不妊症の夫婦を助け、別の病棟では中絶をしている。クローニング(無性生殖)は必要ない。どんな都市でも、ざっと一回りすればわかることだ。加入条件は、学閥であり、適当な握手であり、携帯電話であり、信用格付けであり、政府があなたの存在を証明する何らかの身分証である。
群れは、信心深いことに、生死の恐怖による神聖な宗教を継続する。彼らは蝋燭に火を点けるが、決してキスして消すことはしない。ステンドグラスの奇怪な戯画、政治演説という嘔吐物の断片、成形可能な統計の顔の無い数字を介して、あるいは、夜の最も静寂な瞬間に、屈折した彼らを見出だすことは困難ではない。
群れの政治は部族意識に基づており、その社会システムは1票に何らかの意味があるオープンなシステムではなく、高校の学級委員の派閥に似たものである。今度行列に並ぶことがあったら、想像してみるとよい。政府が全てを管理する世界を。委員会の代表が全てを決める世界を。情報に手を加えられ、殆ど持続性のない内容でさっさと片付けられ、結果平等がその長期的な結末を保証する世界を。それほど難しいことではない。我々はそんな世界を準備している。神が創造できるものを、人間は破壊できる。
我々は、冒険よりも確実が多い時代、障害よりもチャンスが多い時代、改善された健康管理、コミュニケーション、値段の手ごろさの時代にある。それでも、彼らは黙ってキノコ雲を待ち、かつてないほど地球に死の臭いがたちこめるのを待ち望んでいる。彼らは、屠殺場に向かう羊のように従順である。「支配者は、私の羊飼いである・・・」 群れは、恐怖によって一緒になり、我々の必然の展望に圧倒され、うずくまる。
悪魔崇拝者は、原子爆弾によって刷り込まれた恐怖とこれから登場する他の兵器の恐怖は、非常に大きなものであり、誰もそうした兵器の使用を控えるだろうと思っている・・・(文章が削除されている)。これは、世界が2、3の超大国(どんな内乱でも転覆されることのない)によって分割されることを意味するだろう。
その世界は、悪魔崇拝の階級をトップにし、徹底的な奴隷を底辺とした階層構造になる。自由の破壊は、かつて世界が目にしたことのない規模になる。ライバル国家間で絶え間ない虚偽の戦争が繰り返される中、完全に外の世界から隔絶されたそれぞれの国の中では、所要の心理的雰囲気が醸成される。こうしたタイプの文明は何千年も安定して維持されるだろう。怖がることはない。
(翻訳:為清勝彦 Japanese translation by Katsuhiko Tamekiyo)








